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代表者プロフィール

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幼少期〜中学時代【裕福な子供時代】

大阪生まれ、ほぼ大阪育ち。

何をしても怒らない父と、愛情深い母、強い兄の4人家族。

家はかなり裕福で、遊びに行くときは父の運転手か、

公共交通機関だと思っていたタクシーで移動。

まあ、こんなもんだと思っていました。

あるときまでは・・・。それはまたのちのお話し。

大阪、東京、名古屋、九州、と、父の仕事の都合で、

転々としていましたが、小学校4年生の夏休みから

33歳まで大阪の千里で過ごしました。

小さい時から怖いもの知らずで、

叶わないものはないと思っていました。

毎日、外で真っ黒になり、母に呼ばれるまで

遊んでいた小学生時代。

近所のお母様方からは、困ったもんだと思われていました。

中学になると、学級委員に自ら立候補し、2年になると、

理由もなくグレ始め、悪いことをしているという

自覚もないままに、友達と遊び、先生にはいつも怒られ、

卒業するまで、体育教官室の掃除をさせられていました。

当時は先生も本当に怖くて(笑)

でも、本当に良い先生に恵まれたと感謝しています。

中学の時には、学校を休んで、ハワイに行ったりと、

親も親でしたが、貴重な体験をたくさんさせてもらいました。

ハワイに行ったのをきっかけに、

キレイなコスメに目覚め、コスメを集め出します。

この時から子供のくせに、DIORのスキンケアを使いはじました。

何もかもが円満(?!)のように感じていましたが、

たまに父の女性問題が浮上していました・・・。

 

高校時代〜短大生【ほぼ暗黒時代】

勉強は全くと言っていいほどしていなかったで、

自分が思っている以上に頭は悪く(汗)、

専願で男女共学の私立高校に入学。

それでも明るく楽しい高校生活のスタートです。

しばらくすると、父の女性問題は本格化し、

家がごたつき始めます。

もうすでに、流行りのヤンキーでしたが(あくまでも流行)、

家のごたつきとともに、しっかりと流行りにのり、

本格的なヤンキーへ(笑)

学校へは行かず友人とサボり、

学校へ行く時はバイク(もちろんダメ)。

とは言え友人関係は順調で、楽しい生活を送っていました。

この頃から強く優しいはずの母の様子が、

少しずつ変わり始めていました。

気づいた時には、父は家に帰ってこず、家のお金を持ち出し、

新地に店を出させていたようです。

高校を卒業後は、働きたいと母に言いましたが、

何がなんでも、短大だけは行って欲しいと懇願され、

試験を拒否していましたが、

何とか3次推薦の試験を受け、短大に入学。

この時も、高校の先生に大変助けられ、

先生という人たちには本当に恵まれたと思います。

そしてとうとう卒業前に父の会社もバブルの崩壊とともに崩壊。

一気に生活は一変し、借金取りから電話がかかり、

母はふせってしまい、兄はすでに家を出ており、

頼れるのも頼られるのも自分だけという状況になっていました。

とにかくお金が必要で、売れると思ったものは売り、

さらに家にあるものを紙袋に持てるだけ持って、

ミナミの街を誰にも見られないよう、

今で言う買取サービスへ持ち込みます。

ヤンキーだったとはいえ、

自分に自信があってやっていたこととは別の世界。

とてつもなくみじめでした。

そのうち、質屋を知り、時計、宝飾品を持ち込み、

それでも生活ができなくて街金にも手をだします。

もう自転車操業でした。とにかく必死でした。

短大を卒業し、就職活動なんてしていません。

借金もあります。それでもなんとか生きていました。

当時を振り返ってもよく生きてなと思います(笑)

 

社会人になれた【社会で働く素晴らしさ】

そんな時、たまたま新聞で見つけて応募した、

一部上場メーカーに合格し、入社することができました。

この時ほど、短大に行って良かったと

思ったことはありませんでした。

応募資格は短大卒以上でしたから。

このメーカーに入りたいと思ったのも、

お給料の条件がとても良かったからです。

この頃には、母も奮起して、なぜか父も帰ってきており!

なんとか家族3人で生活していました。

でも借金はあります。毎月、街金へはしごしていました。

就職したメーカーは、お給料が本当に良かったので、

返済が少しずつ楽になってきた頃、

この会社なら、銀行で、低金利で

借り入れができるかもしれない!

そう思って、銀行で手続きしたところ、

何の問題もなく借りることができました。

そして、街金の返済を完済。

残るは、銀行だけ。この時の返済は、5年かかりました。

ここだけの話し・・・

実は街金よりも、本当に取り立てが怖かったのは、

有名都銀の、某普通のクレジットカード会社でしたよ。

もうヤクザのごとくでした(笑)

きっとバブルの崩壊で、銀行も大変だったんですね。

会社では、本当に良い上司に育てられ、

仕事をすることを教えてもらい、

信頼できる人たちに囲まれ、責任は自分に任せろと、

大きな傘の下で伸び伸びと

思うように仕事をさせてもらいました。

その時の上司が、今でも1番尊敬する人です。

本当に書き切れないほど、色々ありましたが、

そんな私も、ハワイで挙式、新婚旅行にいきます。

そこで、ドレス文化で、とても安く、

日本にはないデザインばかりのかわいいドレスを見て、

売れるんじゃないかと思い立ち、購入して帰国します。

この頃、ヤフオクが出始めで、不慣れながらも

なんとか出品したところ、

だいたい、3倍の値段がついて、あっという間に売れました。

面白いと思い、旅行と、好きなドレスが見れて一石二鳥、

おまけに旅行代金が浮くと3回くらいは楽しめましたが、

責任ある仕事も任され、忙しく、

その上での、出品、質問に回答、出荷はきつく、

結局、シフトを本業だけにしました。

このことで、自分にはなにかできるんじゃないかと

考えるきっかけになりました。

そして、パートナーの転勤を機に、

11年働かせてもらった会社を後にします。

 

離婚問題【まだ不幸は続くのか?!】

会社を辞めた後、次に降りかかってきたのは、

友人の出産ラッシュ。

これは、この後、何年も私を悩ませました。

自分にやってやれないことはないと、

借金の返済で、変な自信をつけてしまっていたので、

子供ができないということに、

自分とパートナーを許すことができなかったのです。

おまけに、車にまで轢かれて空を飛びました。

なんだかこれまで以上のどん底を味わった気分でした。

ここからパートナーとは別れ、

働くために、元々働いていたメーカーの子会社で、

医療機器メーカーの大阪支店で募集があることを知り、

すぐに応募、合格し、名古屋の実家に戻っていたので、

また、大阪へと引っ越します。

 

再就職【働くことは性に合う】

以前のメーカーでお世話になった方が、

この子会社メーカの支社長で在籍されていましたので、

仕事もすぐに慣れ、

営業という仕事は自分に向いていて大好きでした。

営業先はこれまでと変わって、Dr.になりました。

とにかくDr.に失礼のないようにと、

口を酸っぱくして教えてもらっていたので、

案外、楽しく数字をつくることができました。

兵庫県の開業医を担当させてもらい、営業の醍醐味、

大きな声では言えませんが、神戸の街を、山をと、

色んなところへ行くのもとても楽しかったです。

あっという間の3年がたち、

契約満了後は派遣へと切り替わるため、

ちゃんと就職がしたいと思い、探していたところ、

有名一部上場企業の名古屋支店での募集があり、

すぐに応募し、こちらもすぐに合格しました。

また引っ越しをし、名古屋の実家の近くに部屋を借りました。

システム営業という、これまでとは全く異なる、

少し地味な感じの営業でしたが、

テレアポや飛び込み営業を経験し、

どのような業種もほぼ飛び込みでも、

話しを聞いてくださり、この業種はどうだろうと、

挑戦することが楽しみになっていました。

どうしてもここへ営業したい!と思い、

一番ドキドキしたのが、自衛隊でした!

とても親切に、アポイントを取らせてもうらうことができ、

後日、日を改めて訪問することができました!

とても皆さん、かっこよかったです。

 

働くこと以外の問題【美容問題にぶつかる】

メーカーの営業というのは、女性登用が多く、

たくさんの女性と仕事をする楽しみもありましたが、

同時に、中途採用の私は常に、最高齢の位置です。

美容には本当に気を使いました。

自分だけがおばさんに見えました。

実際おばさんでした(笑)

このままでは非常にまずいと思い、

百貨店のコスメカウンターを巡り、

良いというものは片っ端から購入してみますが、

どれも効果は感じられませんでした。

そんな時、クレンジングがとても大切だと聞き、

いろんなものを購入しては試しました。

オイルタイプが良いと聞けば、さまざまなオイルを試し、

ミルクタイプが良いと聞けば、試しますが、

これは全く私にはダメ。メイクが落ちないのです。

メイクは大好きで、濃いめのメイクでしたから!

そして、クリームタイプであれば、マッサージを行いながら、

使用できると聞き、1万円以上は当たり前のものを購入。

結果は、お風呂で使えば、床はぬるぬるになり、

顔に至っては、メイクは落ちない、

いつまでも洗い流すことができない。ぬるぬるですからね!

そして1回でゴミになりました。

納得の行くものに出会えず、肌の調子はダダ下りです。

仕事は忙しく、充実していますが、

メイクを落とさず寝ることもしばしば。

これには、クレンジングが面倒だという思いが、

とても強くありました。

結局、洗浄力の高いオイルタイプを使用していました。

ダブル洗顔は当たり前で、

それなのに鼻の頭の毛穴まで黒ずんでいました。

いわゆるオイル焼けだったのかもしれません。

プチプラではないので、

それなりのメーカーのものを使用していましたが・・・。

今ではもっと良いものも、合うものもあると思いますが。

本当にクレンジングには苦労しました。

「とにかくキレイになりたい!若くみられたい!」

その気持ちだけで、どれだけ注ぎ込んだか(涙)

そして、いいクレンジングに出会うのは無理なんだと、

あきらめました

レーザーや、エステももちろん試しました。

どうしても注入系と、美容整形には怖さが勝り、

今後も取り入れることはないでしょう。

決してアンチ美容整形というわけではありませんので、

もっと医療が進んだらやっているかも知れません(笑)

 

またもや転職【何か自分の痕跡が残したい】

とうとう、転職癖がついてしまったのか ・・・。

自分の痕跡をどこかに残したいと思うようになります。

【子供もいない私が何か残せるもの】

「そうだ、建設業だ!!」

と、土木女子でヒットした、

有名企業へ履歴書を送ってみたところ、合格!

やっと最後の転職になるだろうと、本当に嬉しく思いました。

それにしても建設業というのは、

未だ男性社会で、びっくりです。

でも作業着に、ヘルメット、安全帯に、安全靴、

全てが新鮮でした。

営業とは言え、現場にもガンガンでます。

建物が立っていくところを目の当たりにし、

その場に立てる喜びに感動しました。

その中でも忘れられないのが、ある型枠大工の企業です。

素晴らしい職人方を率いる会社です。

職人さんたちは、

ど素人の私の面倒を根気よくみてくれました。

仕事を教えてくれ、見守り、怒られながらも、

本当に楽しかったです。

私を育ててくれたと言っても過言ではありません!

伝統文化がここにはあります。

だって、親子3代の職人さんがいたりするんですよ!

あと、職人さんはみんな・・・

めちゃくちゃカッコいい!ですよ。

そして、管理職を目指すことを推奨してもらい、

ついに、私にも終の働き先が見つかった!そう思いました。

そう思っていたのも束の間・・・

 

やっぱり起業【多くの人を笑顔にする!】

ケイ素という成分に出会ってしまいました。

その変わった面白い働きに、

これで「みんなの悩みを救える!

何よりも、自分のあの苦労と、消えたお金は、

これでもう終わりにできると思いました。

正直、とても興奮しました!

化粧品なんか売ったこともなければ、業界のことも知らずに、

私は何かに突き動かされるように奮い立ち、

化粧品の開発に着手してしまいました。

何も考えずに・・・。会社を設立していました(笑)

今考えても恐ろしいほどです。

何度も何度も試作を繰り返し、納得できる成分、

香り、テクスチャー、容器。

知らないことだらけの中、いろんな方のアドバイス、

サポートを受けながら開発を進めていきました。

特に、クレンジングのテクスチャーは

何度もやり直してもらいました。

手に取った時、顔に塗りひろげた時の柔らかさ、

気持ちよさ、ストレスを感じることなく、

メイクが落とせること、普段の洗顔としても使えること。

摩擦がないこと、洗い流しが気持ちよくできること。

さまざまなところにまで、意識をして作り上げました。

試作を繰り返し、納得のできるものが完成したのは、

着手してから2年近く経っていました。

その間、ずっと使い続け、

今ももちろんこれ以外は考えられません。

何よりも嬉しかったのが、自分が悩んできた肌のざらつき、

素早く汚れを落とすこと、毛穴悩みから解放されること、

そして、次に使うスキンケアが、

肌から嫌がられることなく、グングン吸い込む肌にすること。

それにより若々しい肌でいられることでした。

「クレンジングは大事!その通りです!」

これをクリアできたからこそ、みんなに届けられる。

肌悩みから解放されて、笑顔になって欲しい!

プゥイクシリーズには、ファーストローションがあります。

この2つがあって完成されるのですが、

洗顔後すぐに使ってもらうと、

ブースターとしての優秀さはもちろん、

2度付けで保湿ローションとしても使え、

とにかく、次に使う美容液やクリームをサポートします。

これもケイ素のもつ成分の特徴なのです。

ボトルにもこだわりました。

まずは国産であること、最後までしっかり出せること。

ローションはボトルの口に手が触れて、

雑菌が入るようなことは避けるため、

スプレータイプにすること。

スプレータイプにすることで、

顔以外のデコルテ、背中にも塗布することができます。

地球環境を考慮して、紙材を使用せず、

過剰包装にはしないことでした。

私は10代の頃からサーフィン大好き

ゴルフ、海で、川で、公園で、ベランダで、

体を焼いていました。当時のオヤジギャル(笑)

ウエディングドレスの試着のときは、

白と黒が際立ちオセロのようでした(笑)

サーフィンは33歳まで行っていて、肌はボロボロ。

流石にまずいと思っていました。

それでも、海が好きで、ゴルフが好き、

ビバ!アモーレ太陽でした・・・

当然ツケがまわってきます。

50歳を過ぎた今もゴルフは大好きです。

びっくりするぐらい下手ですが(笑)

でも、これで抑えられているのは、日頃のスキンケアや、

マッサージ、食事、飲み物によるものです。

それは、Instagramで発信しているので、

よかったら覗いてみてください。

素肌がキレイなことって、年齢も、性別も関係なく、

みんなが必要としていることです。

だから、みんなをキレイに笑顔にしたい!

この気持ちをこれからも、新しい商品開発に注ぎます。

そしてそれはいつも、私が使って嬉しくて、

みんなに自信を持って勧められるものを商品にします!

自分が欲しくないものを売るなんて

失礼なことだけはしたくないですからね。

美容と健康は永遠のテーマです。

一緒に追求していましょう!!

 

肌を痛めつけていた時代【10代から海とゴルフ】

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